Kelownaへの道

春の気配が漂い始めた頃、Kelownaへ向かう道を車で進んでいた。湖の氷は次第に解け、その下から柔らかな波が顔を覗かせる。空を仰ぐと、渡り鳥の群れが北へ向かって飛んでゆく。彼らは長い冬を越え、温かな風に誘われるように帰路につくのだった。

ロッキー山脈の影が次第に遠ざかる。道の両側に点在する湖は、まるで散りばめられた宝石のように深い緑色を湛えている。山を離れ、なだらかな平原へと足を踏み入れると、そこにはどこまでも続く草原が広がっていた。風が湖面をかすめ、ほのかな冷たさを運んでくる。その風の中に混じる、どこか甘く芳醇な香り。それは、春の日差しを受けて発酵が進むワイナリーの香りだった。

ワイナリーは丘陵に沿うように静かに佇んでいる。低い建物が葡萄畑と寄り添いながら、何年、何十年とこの地を見守ってきたのだろう。この時季の葡萄の木は、まだ芽吹くことなく、縮こまったまま佇んでいる。その姿は、冬の眠りから目覚めるのを待つ老人のようにも見える。木製のテーブルに腰を下ろし、搾りたての白ワインを一口含んだ。冷たく透き通った液体が、口の中にほのかな果実の香りを広げる。葡萄農家の主人が微笑みながら言う。
「去年の収穫ですが、まだ若い味わいです。少し酸味が残っていますね。でも、それが春の味なんですよ。」

Kelownaの湖畔には、静かに佇む豪邸が点在していた。それぞれの家の庭先には桟橋が伸び、小さな船がゆらゆらと水面に揺れている。湖のほとりに建つ家々は、モダンな造りでありながらも、この静かな風景と不思議な調和を保っていた。この土地の人々にとって、湖は単なる景色ではない。水とともに生きることが、ここではごく自然な営みなのだろう。
夜、羊肉のソーセージを焼いてもらった。一口噛むと、肉汁があふれ、燻製の香ばしさが鼻を抜ける。食後、ふと目に留まった古道具屋に立ち寄る。店内には、時の流れをそのまま閉じ込めたような品々が並んでいた。壁にはソビエト時代のバッジがいくつも飾られている。店主は白髪のドイツ人、退役軍人だという。彼は落ち着いた手つきで、一台の古いカメラを手に取った。
「これなら、まだ時間を捉えられる。」
そう言って、丁寧に蛇腹を開き、シャッターを切ってみせた。黄銅のボディが微かに光る。まるで、過去の記憶がそこに宿っているかのようだった。

翌日の昼、湖畔のレストラン(West Coast Seafood & Raw Bar Kelowna)で牡蠣を味わった。レモンを絞り、新鮮なホースラディッシュを添えると、その香りが潮の気配を連れてくる。内陸のこの地で、海の幸を味わえるのはなぜだろう。もしかして、湖で養殖しているのかもしれない。店の人に尋ねると、彼は微笑みながら答えた。
「この牡蠣は、もっと遠い西海岸から運ばれたものです。でも、最近はこの湖でも淡水養殖を試みているそうですよ。」
この地が持つ可能性に思いを馳せた。伝統の風景の中に、新たな挑戦が芽生えつつある。

湖畔を歩きながら、昨日手に入れたカメラでシャッターを切る。モノクロのフィルムが、湖と遠い山々、そして行き交う人々の姿を、時間の奥底に沈めていく。旅人の目に映る風景ではなく、記憶の片隅にそっとしまわれるべき情景として、カメラはそれを写し取っていた。
宿へ戻り、ドイツ人の店主に宛てた手紙を書く。あのカメラを譲ってくれたことへの感謝と、この旅で出会った風景のことを綴る。湖と酒と人の物語が、春の目覚めとともにゆっくりと広がっていく。ふと、もう少しここに留まりたくなる気持ちが、心の奥で静かに揺れていた。

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