黎明のヨルダン – アンマンの空港に降り立つ
機窓から見下ろす大地は、夜明けの光に照らされ黄金色に輝いていた。アンマン国際空港に降り立つと、空気は乾燥しており、どこか静謐な雰囲気が漂っている。巡礼団の随行カメラマンとしての初めての撮影の場。機材を手にしながら、私はこの歴史の重みを湛えた土地を前に、期待と緊張が入り混じるのを感じていた。

空港近くの小さな食堂で、最初の朝食をとる。素朴なピタパンとフムス(ひよこ豆のペースト)。口に運ぶと、オリーブオイルの芳醇な香りが広がる。目の前には、この地の日常の風景が広がっていた。異国の地での新たな一日が、ゆっくりと幕を開ける。
伝説と広大な視界 – ネボ山
旅の最初の目的地はネボ山。この地は、モーセがカナンの地を見渡したとされる場所として知られる。道中、乾いた大地がどこまでも広がり、風が高台を吹き抜ける。私はカメラを構え、光の移ろいの中にある風景を切り取る。
山頂から遠く西方を望めば、かつて「約束の地」と呼ばれた大地が広がる。今日ではヨルダン川西岸、そしてその向こうのイスラエルが広がっている。この風景は、宗教や民族を超え、時代を越えて幾多の人々にとって意味を持ち続けてきた。

モーセ記念堂(Memorial of Moses)の前には、一際目を引く「青銅の蛇の十字架」(The Brazen Serpent Monument)がそびえ立つ。イタリアの彫刻家ジョヴァンニ・ファントーニによるこの作品は、モーセが荒野で青銅の蛇を掲げ、人々の病を癒したという聖書の物語を象徴するものであると同時に、キリスト教における十字架の象徴とも重なる。雲間から降り注ぐ陽光が、彫刻に陰影をつけ、神秘的な佇まいを際立たせていた。

ベドウィンの羊飼いと道端の少女
ネボ山を後にし、巡礼団を乗せたバスは死海へと続く道を進む。途中、バスは思いがけず停車することになった。目の前を埋め尽くす羊の群れ。彼らを導くのは、ベドウィンの羊飼いたちだった。彼らの佇まいは、この地に根付く生活そのものであり、時の流れを超越した静かな強さを感じさせる。私はその姿をカメラに収める。
さらに道端の小さな村では、一人の少女がロバの手綱を握りながら、興味深そうにこちらを見つめていた。試しに英語で話しかけると、彼女は流暢な英語で応じた。彼女の世界と私の世界が、ほんのひととき交差する。シャッターを切ると、彼女は笑顔で「見せて」と言い、ディスプレイを覗き込んだ。

歴史と現実の交錯 – ヨルダン川の洗礼地
旅の終着点はヨルダン川。ここはイエスが洗礼を受けたとされる場所であり、長い歴史の舞台となってきた。しかし、目の前にあるヨルダン川は、思い描いていた清らかな流れとは異なり、土色に濁った静かな流れだった。
対岸にはイスラエルの建物が見え、こちら側には金色のドームを持つ聖ヨハネ洗礼者正教会(St. John The Baptist Greek Orthodox Church)がそびえ立つ。かつて信仰の象徴であったこの場所は、今や国境の緊張をも孕む現実の風景でもある。
写真がつなぐもの
カメラのファインダー越しに見たヨルダンは、単なる巡礼の地ではなかった。それは歴史と人々の営みが折り重なり、過去と現在が交錯する場所だった。ネボ山で見た遥かな地平線、ベドウィンの羊飼いの日常、ヨルダン川に映る陽の光——すべてが、今この瞬間の物語を紡ぎ出していた。
この地は、宗教という枠を超えて、歴史と文化を映し出す鏡のような場所である。そして、それらを映し出す手段として、私はカメラを手に取り続けるのだ。

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